
仏陀(ブッダ)であるお釈迦様は、その80年の生涯で様々な教えを説かれました。それは直接相手に、ご自身のお言葉で教えを聞く人の能力・素質にふさわしく法を説いてきました。それを「対機説法(たいきせっぽう)」といいます。お経の数は何千とありますがその理由というのも、悟りの内容は難解で、さらにお釈迦様は相手に合わせてその場その場で法を説いてこられたのもその理由の一つだと考えられております。
「対機説法(たいきせっぽう)」は病に応じて薬を与える「応病与薬(おうびょうよやく)」ともいわれます。仏は衆生の病を癒す医者の王に例えられることがありますが、仏が衆生の病の種類に応じて、その病を癒す薬を調合して与えるという発想が生まれました。 医者は患者の病を治すことだけを目的としていて、お釈迦様が説かれた仏教の教えは成仏だけを目的としています。成仏とは仏に成るということで解脱する、悟りを開くということです。
お釈迦様はバラモン教の人々から人は死後も存在するか、魂は存在するのかなどと論争を仕掛けられましたが、何も答えませんでした。それが存在しようとしまいと現実には四苦八苦などの苦しみが人生にはあり、救われるには現実を知らなければなりません。 そしてあらゆる現実に当てはまる宇宙の法則を説かれました。それが「三法印(さんぽういん)」です。
1つ目は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」で、すべては常に変化するということを表します。心の働きを含め、すべての現象や作られたものは時が経つにつれて移り変わっていくものであります。
2つ目は「諸法無我(しょほうむが)」で、すべては因縁によって決まるということを表します。すべてのものは、直接的、間接的な因縁によって生じていて、それ独自で存在するものはありません。
3つ目は「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」ですべての人の心は本質的に清らかで永遠に続くということを表します。これに「一切皆苦(いっさいかいく)」迷いの生存はすべて苦であることを表す。を加えて「四法印(しほういん)」とすることもあります。
我々には煩悩があり、なかなか善を為すことが出来ません。しかしこの世は因果応報で、因を積むという行いによって自分自身の人生を変えられることができるということを示しています。我々の本当の心は本質的には清らかであるので、苦しむのはその原因を自分自身で作ってしまっています。運命は他でもない自分自身によって変えられるということです。