仏陀であるお釈迦様の弟子はたくさんおり、ゆうに1,000人を超えていましたが、その中の代表的な弟子を「十大弟子(じゅうだいでし)」といいます。必ずしも優秀な順番に10人が選ばれたわけではなく、お釈迦様の10の力の代表者で、いわばその具現化した存在が「十大弟子(じゅうだいでし)」であるようです。
その中の二人の弟子を「二大弟子(にだいでし)」といい、いわば教団のツートップであり、それは舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)であります。
舎利弗(しゃりほつ)は知恵第一(ちえだいいち)と称された人物であります。 懐疑論者であるサンジャヤの弟子でありましたが、その後お釈迦様の弟子となり、たちまちにして悟りをひらかれました。
目連(もくれん)は神通第一(じんつうだいいち)と称されました。舎利弗(しゃりほつ)と幼馴染で、友情に結ばれた2人でありました。共にサンジャヤの弟子でありましたが、舎利弗(しゃりほつ)に勧められ、その後お釈迦様の弟子となりました。神通力で餓鬼道におちた母を見つけ出し、供養を行いました。それが盂蘭盆会(うらぼんえ)の起源とされています。
この二人の大きな力で仏教教団が維持、発展されましたが、舎利弗(しゃりほつ)も目連(もくれん)もお釈迦様より先だって亡くなられました。
摩訶迦葉(まかかしょう)は頭陀第一(ずだだいいち)と称された人物であり、頭陀(ずだ)とは衣・食・住に対する執着のこころを払いのけるための修行実践をいいます。
お釈迦様が存命中から実質的にナンバー2の地位にあり、お釈迦様が亡くなられた後に長老比丘を集めて第一結集(だいいちけつ)じゅう)を行いました。第一結集(だいいちけつじゅう)とはお釈迦様が亡くなられてしまったので、お釈迦様の教えをまとめるため経と律の編纂を試みたものです。その時に摩訶迦葉(まかかしょう)は座長を務め、付き人として長年お釈迦様と行動を共にし、最も多く説法を聞いた、多聞第一(たもんだいいち)と称される阿難陀(アナンダ)が経を担当し、お釈迦様の教えを他の弟子に口誦しました。そして律は、持律第一(じりつだいいち)と称される、優波離(ウパリ)が担当しました。
阿那律(あなりつ)は天眼第一(てんげんだいいち)と称される人物で、お釈迦様の説法中に居眠りをしてしまし、叱責を受けました。以後、不眠不休で修行に励み、遂には失明してしまいました。しかしその代償に目に見えないものを見通す天眼を得ることができました。
須菩提(しゅぼだい)は解空第一(げくうだいいち)と称された人物で、こだわりを持たず、仏教の大事な思想の空(くう)を最もよく理解し、お釈迦様の話し相手にもなりました。
富楼那(ふるな)は説法第一(せっぽうだいいち)と称される人物で、説法上手としてしられています。インド西方に説法に行きたいとお釈迦様に懇願した際に、その土地の住民は気性が荒いのでと心配するお釈迦様をよそに、教えに殉じられるならむしろ本望と返答し旅立った逸話があります。
摩訶迦旃延(まかかせんねん)は論議第一(ろんぎだいいち)と称され、故郷のアバンティ国の国王も仏教に帰依させました。
羅睺羅(らごら)はお釈迦様の実子で、密行第一(みつぎょうだいいち)と称されました。父親であるお釈迦様から厳しく教えられ、また厳しい荒行に身を投じました。
以上の10人がお釈迦様の十大弟子(じゅうだいでし)で、お釈迦様の持つ10の力を象徴する人物たちであります。