合掌とは、両手を顔や胸の前で合わせることです。これはインドで古くから行われてきた敬礼法で、スリランカやネパールなどの南アジアでも人々が会った時にお互いに合掌をします。仏教徒が仏様を礼拝するときには合掌を用いますし、密教では色々な種類の合掌が存在します。中国で著された経典の注釈書には、両手を合わせる事によって精神を統一することができると説明されています。
仏像を見てみると指で様々な形をつくっています。仏像の手の形は、仏によって色々な種類があり、サンスクリット語でムドラーといい、印相(いんそう・いんぞう)、印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)ともよばれます。インドには古くから手の仕草で気持ちを伝える習慣があり、またインドの伝統舞踊に見る多くの手の動きや表現の要素なども加えられているようです。手や指の動きはお釈迦様の説法や瞑想をしている時の手ぶりが元になっていて、仏像の功徳や働きなどを象徴し、我々にどう働きかけてくれるのかを表現してくださいます。また印(いん)によっては見ただけで仏像の種類を特定できるものもあります。
「釈迦の五印」は、根本五印(こんぽんごいん)ともいい、説法印(せっぽういん)、施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)、禅定印(ぜんじょういん)、降魔印(触地印)の五つがあります。説法印(せっぽういん)は転法輪印(てんぽうりんいん)ともいい、お釈迦様が説法をされている手の形を表しています。いくつかの印(いん)があります。施無畏印(せむいいん)は右手の掌を前に向けた形で、怖がらないでいいですよと、人々の畏れを取り除くという印(いん)です。与願印(よがんいん)は指先を下にして前に向けた形で、人々の願いを叶え、望むものを与えるという印(いん)です。禅定印(ぜんじょういん)は左手の掌の上に右手を重ねて、両親指を軽く触れ合わせている形です。お釈迦様が瞑想している時の形からきています。降魔印(触地印)は坐像の時に左手で指先で地面を触れている形です。お釈迦様が瞑想中に魔を指先に地面を触れることで退けたという逸話に由来しています。
密教の尊像の場合は金剛界(こんごうかい)の大日如来の智拳印(ちけんいん)や胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来の法界定印(ほうかいじょういん)などのように各尊像が、それぞれ特定の印相(いんそう)を持ち、その数は膨大となります。
しかし仏像鑑賞においては、曼荼羅の尊像の数よりはるかに少なく、仮に印相(いんそう)の区別がつかなくても判別に困ることはありません。
仏教美術において印相(いんそう)は持物(じもつ)と共に仏像においての図像表現の重要な標幟(ひょうじ)となっています。釈迦如来以外にも、施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)をした如来像もあります。これは通仏相(つうぶつそう)といって、他の如来と共通したお姿の場合があり、この印相(いんそう)のみで何の仏かを判別することは不可能な場合が多いです。普通見られる合掌の形は十二合掌(じゅうにがっしょう)の内の虚心合掌(こしんがっしょう)に相当します。密教僧が通常用いる合掌は、金剛合掌(こんごうがっしょう)または帰命合掌(きみょうがっしょう)といい手の指をあざえる形をとります。