チベット仏教とはどのような仏教なのでしょうか。ニュースや本、インターネットなどで、その最高指導者であるダライラマ法王を目にすることも多いと思います。
13世紀にインドで仏教は滅亡しましたが、仏教の本家本元は、お釈迦様が生まれたインドであります。2500年前に王子として生まれたお釈迦様は、出家をした後に厳しい修行を経てブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれました。その後80歳で入滅されるまで各地で教えを説かれました。偉大な指導者は素晴らしい生涯を経て80歳で亡くなられましたが、今日でもお釈迦様の教えが世界中で実践されています。チベットは位置的にもヒマラヤ山脈を越えてインドの北隣で、インドの直系の純粋な仏教を受け継ぎ、今日まで守り伝えております。
日本の密教は、中国経由で密教が伝えられ、分類をするとインド中期密教の流れであります。それに対して、チベットの密教はインド後期密教の流れをくみ、タントラ仏教とも呼ばれます。
日本とは違い顕教のみの宗派はなく、全ての宗派が密教を伝えています。
チベットはインドの密教が最後まで忠実に伝えられ、さらに現在もその息吹が残っている所であります。
チベットへの仏教初伝については、様々な伝説が語られていますが、本格的な伝来は、8世紀の後半にインド哲学の巨匠シャーンタラクシタと密教成就者パドマサンバヴァ(グルリンポチェ)を招いて土着の神々を調伏させ、最初の大僧院となるサムイェー寺を建立しました。
パドマサンバヴァはチベット密教の四大宗派の一つニンマ派の開祖です。現在ではグルリンポチェと呼ばれ宗派を超えて崇拝されています。
その後インド系大乗仏教と中国系禅仏教との対立や、さらに王室関連の抗争などによる仏教弾圧が行なわれ、ランダルマ王の殺害以後、仏教は暗黒の時代に入りました。
11世紀になると、インドから入国して仏教界を指導した偉大な仏教学匠であるアティーシャとその弟子のドムトンらによって戒律復興運動が起こりカダム派を開きました。タントラ密教を体系化し、チベット仏教の興隆させる基盤を築きました。カダム派は後にツォンカパのゲルク派へと吸収されました。9世紀半ばに廃仏政策をとるラン・ダルマ王が現れ、仏教は王室の外護を失い受難の時代を迎えました。
11世紀後半までに四大宗派であるサキャ派とカギュ派が誕生しました。この時代にはミラレパのような大聖者やサキャパンディタをはじめとする大学僧が輩出してきましたが、あいにくにもこの時期には、本家であるインド仏教は衰退へ向かい、13世紀初頭にイスラム教徒の攻撃を受け、滅亡を余儀なくされてしまいます。
13世紀の中頃、チベットはモンゴル帝国の襲来を受け、軍事的には屈服せざるを得なかったのですが、宗教面ではモンゴル人をチベット仏教に帰依させる結果となり、チベットはやがて独立を回復することができました。
カギュ派はマルパ訳経官を開祖とします。チベット最高の詩人で日本でも比較的知られているミラレパ=シェーラプゲルツェン(1040〜1123)はチベットの密教行者で、チベットにおける四大宗派の一つのカギュー派の第二祖であります。
「大印」(だいいん)や「ナーローの六法」などの秘法を修得し、灌頂(かんじょう)が与えられ最高の悟りを得て、高名なヨーガ行者となっていきました。僧院で起居することなく、洞窟での瞑想中心の生活に身を置き、数々の弟子を育てました。ヨーガ行者・詩人としての名声が高く、現在でも「ミラレパ伝」、「十万歌謡」は多くのチベット人の愛読されています。
2000年にインドのダラムサラへ亡命したカルマパ17世はカギュー派の座主であります。
サキャ派は在家の行者であったコンチョクゲルポ(1034〜1102)によって創始されました。サキャ派の4代座主サキャ・パンディタ(1182-1251)はモンゴルで布教を行い、チベット仏教がモンゴルに浸透し、やがて内陸アジアに広大なチベット仏教圏を誕生させました。
そして14世紀後半には、ツォンカパという偉大な宗教家が現われ、インド後期の中観思想や戒律などを一大体系にまとめあげました。これによってチベット仏教は、思想哲学の面でも実践修業の面でも、極めて充実した内容をもつに至ったのであります。
これまでチベットは多くの偉大な仏教学匠が活躍されてきましたが、ツォンカパは両立が難しいとされてきた顕教と密教を矛盾なく統合した結果、これによって顕教、密教、大乗、小乗全てを統合する偉大な体系をつくりあげました。
17世紀中頃、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政治や宗教にわたる最高指導者とする体制が確立され、古代王国が崩壊してから分裂状態にあったチベットは、再統一を果たしました。
チベット仏教は、モンゴル、中国にまで広められ、アジア大陸随一の国際的な宗教に成長しました。
ダライ・ラマ14世は中国の圧制に耐えかねて、1959年に北インドのダラムサラに亡命しました。現在もチベット人の信仰対象としてダライ・ラマは平和を訴え続けておられ、1989年にはノーベル平和賞を受賞しました。
チベットは仏教を精神的な基盤に、広い地域の間で文化交流が進み、その一大中心地として繁栄を極めました。
チベット仏教は大きく別けて4つの宗派があり、これら4つの宗派全体の頂点に立っているのが、ダライ・ラマ法王です。ダライ・ラマ法王は最大宗派であるゲルク派に所属しているともいわれていますが、特定の宗派に属することなく、4つの宗派の超越的な最高指導者と位置づけられています。チベット土着の宗教であるボン教を含めると5つの宗派となり、日本でいう神道にあたります。
日本とは違い顕教のみの宗派はなく、全ての宗派が密教を伝えています。