釈迦様は、その80年の生涯で様々な教えを説かれました。それは直接相手に、ご自身のお言葉で教えを聞く人の能力・素質にふさわしく法を説いてきました。それを「対機説法(たいきせっぽう)」といいます。お経の数は何千とありますがその理由というのも、悟りの内容は難解で、さらにお釈迦様は相手に合わせてその場その場で法を説いてこられたのもその理由の一つだと考えられております。
「対機説法(たいきせっぽう)」は病に応じて薬を与える「応病与薬(おうびょうよやく)」ともいわれます。仏は衆生の病を癒す医者の王に例えられることがありますが、仏が衆生の病の種類に応じて、その病を癒す薬を調合して与えるという発想が生まれました。
医者は患者の病を治すことだけを目的としていて、お釈迦様が説かれた仏教の教えは成仏だけを目的としています。成仏とは仏に成るということで解脱する、悟りを開くということです。
「悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば、あとで悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なしおわって、後で悔いがない。」
「ただ非難されるだけの人 ただ賞賛されるだけの人は過去にもいなかったし 未来もいないだろう 現在もいない」
「ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずに死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。」
「苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとを知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々。」
「かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。」
「しかるに苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々。」
「かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。」
「生まれによって卑しい人になるのではない。生まれによってバラモンになるのではない。行為によって卑しい人になり行為によってバラモンになるのである。」
「他人の過失を見ることなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」
仏陀であるお釈迦様は、悟りを開いてから40年以上に渡って、インドの色々な場所で説法をしました。色々な言葉を用いて、弟子たちに真理を説き、悟りへと誘いました。お経の本はお釈迦様自身が書かれたのではなく、お釈迦様入滅後に弟子たちが集まり、教えていただいた内容をまとめていきました。そうした仏教は時代を経て色々な国へと広がりを見せていきました。