仏教の経典は内容を三つに分けることができ、経蔵(きょうぞう)、律蔵(りつぞう)、論蔵(ろんぞう)といい、これらを三蔵(さんぞう)といいます。
三蔵法師と呼ばれる玄奘(げんじょう)は三蔵(さんぞう)に非常に精通した方として有名です。
初期の仏教は三蔵(さんぞう)を口伝えで、記憶暗唱で伝えており、文字に書き写していませんでした。 文字にしたのはお釈迦様が入滅されてから約100年後のことです。最も初期の経典は中国において漢訳され、阿含経(あごんきょう)と呼ばれました。
仏教の経典のほとんどは如是我聞(にょぜがもん)という言葉から始まります。これはラージャグリハ(王舎城)で第一回目の編纂会議、第一結集(だいいちけつじゅう)で弟子の一人が、このように私は聞きましたといったことに由来します。
西暦紀元前後の頃から北伝仏教(ほくでんぶっきょう)が起こりました。これは大乗仏教ともいい、多くの大乗経典がつくられるようになりました。 大乗経典は非常に登場人物も多く、お釈迦様のとらえ方も、小乗仏教では仏=お釈迦様であるのに対して、大乗仏教は仏=仏陀であり、お釈迦様は仏陀の化身としてこの世に現れたと考えます。 大乗仏教の経典も如是我聞(にょぜがもん)から始まりますが、それを言っているのは必ずしもお釈迦様の弟子ではなく、その教えもお釈迦様の言葉ではありません。
多くの経典の題名の冒頭は仏説(ぶっせつ)から始まりますが、歴史上のお釈迦様だけを仏としますと、大多数の経典は仏説(ぶっせつ)ではなくなります。 これを大乗非仏説論争といい、実在の歴史的人物であるお釈迦様が入滅されてから、数百年たって編纂されあ大乗仏教の経典などが仏説であるはずがないという批判のことを指します。
仏教の経典は非常に多くの数があり、これは八万四千の法門(はちまんしせんのほうもん)といい、八万四千は無数・多数を意味し、法門はお釈迦様の教えを指します。
日本に伝わった仏教経典の多くは大乗経典で、その中で一番日本人にとってなじみのある経典は般若心経(はんにゃしんぎょう)ではないでしょうか。 般若心経(はんにゃしんぎょう)は正式には般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)といい、全600巻ある大般若経(だいはんにゃきょう)という経典のエッセンスであり262文字に凝縮されています。 これだけの多くのお経が一度に成立したとは考えにくく、長い時間をかけて編纂されたと考えられます。
お経を書き写すことを写経(しゃきょう)といい、お経を広めるための大切な方法でありましたが、現在では、故人の菩提をとむらうための追善回向(ついぜんえこう)としてや、願望や厄除けなどを願う現世利益のためなどと、その目的は非常に多様です。
般若心経(はんにゃしんぎょう)は写経(しゃきょう)の王様といえる程、古来より今日に至るまで写経(しゃきょう)がされてきている経典です。
お釈迦様は、生前にたった一作の著作も残しませんでした。当時にも文字はあったようですが、インド古来の風習によって神聖な言葉が書き記されることはなかったようです。お釈迦様が入滅されてから数百年経った後に、数回の編纂会議を経て、ようやくお釈迦様の言葉を、お経としてまとめられました。