仏教は今から2500年前にインドでお釈迦様が悟りを開かれたのちに始まりました。その後アジアの多方面に仏教は伝わって行きました。日本はもともと神道の国ですが、日本に仏教が伝来したのはいつ頃かご存知でしょうか。
中国に仏教が伝わって約300年が経った後、朝鮮に仏教が伝わりました。その後、日本に仏教が伝来したのは、西暦538年だといわれています。(異論あり)お百済の聖明王が欽明天皇に遣わせた使節が仏像や経典などを伝えたのが始まりとされています。 お釈迦様の時代から千年が経った頃ですね。
しかし実際にはそれ以前にすでに民間レベルで、仏教は伝えられていたとされます。 当時異国の宗教であった仏教を、日本に受け入れるべきかどうかを、当時の有力な氏族であった、物部氏と蘇我氏は対立しました。
蘇我氏は積極的に仏教を受け入れましたが、物部氏は日本固有の「国神」の怒りをかうとして反対しました。物部氏は当時疫病が流行ったのは仏像を礼拝したからだとして、欽明天皇に訴えて仏像を破棄して、お寺を燃やしました。ところが次に宮中に災厄が起こり、今度は仏の祟りだと思いました。
当時の日本は姿かたちのある神を祀っていませんでしたが、異国から来た宗教の神が、金色に輝く仏像であったので、非常に衝撃的であったと思われます。「なんなんだこの黄金に輝く神は」といったところでしょう。
蘇我氏と物部氏の対立は宗教上の争いだけではなく、政治的な背景もあったようです。 その後、蘇我氏は物部氏と争って実権を掌握して、仏教を積極的に受け入れました。そして奈良(飛鳥)の場所に一族の先祖を弔う氏寺として、日本最初の本格的な寺院である法興寺(飛鳥寺)を建立しました。
摂政となった聖徳太子は仏教の思想にもとづいた政治を行いました。十七条憲法に記した「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」という文言は有名です。これは仏教を国づくりの柱に据えた証であると思います。国や時代を問わず、すべての仏教徒にとって共通の信仰があります。それは三宝に帰依することです。三宝とは仏と法と僧のことで、仏とはお釈迦様や、薬師如来などすべてのブッダのことです。法とはブッダの説いた教えのことで、僧とは出家者の集団です。要するに仏教徒はすべて三宝に帰依する存在です。帰依とは拠り所とするという意味です。
三宝に帰依することは、仏道に入る初めの一歩とされます。
今日では当たり前にある仏像や経典、お寺などが、日本に来た時は相当に衝撃的な出来事だったでしょう。仏教という異国の宗教が、日本にとっては当時外来の宗教であったことは、今では想像もつきませんね。